木曽はおおらかで、訪れた人々をあたたかく包み込みます。
気づくと、ゆったり流れる木曽時間に溶け込んでいるあなたがいるはず。
木曽の地で癒されてください。
そしてホームタウンへ帰ったなら、そこが一番だと気づく。旅とはそういうもの。
木曽は何度でも訪れたくなる場所です。いつでもお待ちしています。
木曽路11宿の魅力
石畳、千本格子、苔むす石仏や大樹。宿場の名残を見つめながら昔に帰る。
なにげなく通り過ぎる石畳の道も、石のくぼみを見つめれば、はるか昔、幾人もの旅人が踏みしめた温もりを感じます。
旅籠の古びた柱や囲炉裏で煤けた天井も、静かに眺めていれば、その枯れた木肌のあちこちに、江戸の香りや笑い声、人々の姿が染みついていることに気づきます。そしてふとした出会い、交わす言葉の端々に山里の温もりを感じます。
急ぎ足の旅よりも道草がてら、てくてくまわり道。
昔のままに、ゆっくりのんびり、ときには額の汗を拭きながら、そぞろ歩くのが木曽路にはとても似合います。
中山道とは江戸時代の五街道のひとつで、京と江戸を結んだものです。中山道は木曽を通るので「木曽路」とも呼ばれ、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用されました。全工程が約540kmの街道に69ヶ所の宿場が置かれ、そのうち11宿が木曽にあります。 木曽川に沿って険しい峠を越え、深い谷を抜け、山の底を縫うようにして伸びる木曽路。
遠い時代、旅籠の活気ある声が、行灯の灯火が、私たちの心にあたたかく響いてきます。 西国と東国とを結ぶ重要な街道だった中山道。河留めのおおい大井川や浜名の渡し、桑名の渡しなどがある東海道と違い、中山道は水の不便がほとんどないことから女性も多くこの道を歩きました。
美濃路から木曽十一宿へ
中山道の西の起点「京都三条大橋」を発ち、近江を経て美濃路の最東端、二十七番目の宿にあたるのが「落合宿」です。
落合宿には、美濃十六宿のうち唯一旧本陣が残されており、歴史の面影を今に伝えております。
十曲峠の近く「山中薬師」には、虫封じの薬師如来がまつられ、十曲峠の途中には島崎藤村が揮毫した「是より北 木曽路」の碑があります。
中山道の歴史
徳川政権は、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦以降、江戸中心の道路網を全国的なものに発展させ、慶長6年(1601)には東海道に伝馬制を実施、翌年には中山道にも宿駅を設定しました。
さらに、江戸を起点とする主要な陸上交通路として、五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)の整備を進め、慶長9年(1604年)には、江戸日本橋を起点として、各街道に一里塚を築かせました。
街道整備のため、幕府は万治2年(1659)に道中奉行を設置し、街道改修・整備、架橋、渡船、並木、一里塚、宿駅および人馬賃銭などの管理にあたらせるとともに、諸街道には関所を設け、人改め等を行いました。
これらの制度は、本来は公用旅行者・御用荷物を優先させるための制度でしたが、街道が整備されることにより、庶民の旅行も安楽となり、物資の流通・通信の発展、さらには文化の伝藩にとっても大きな役割を果たすこととなりました。
道筋は必ずしも一致していませんが、古代の東山道が中山道の基本となっています。中山道は、日本橋から北武蔵・上野国・信濃国・美濃国と諸国を通過した後、近江国草津宿で東海道と合流、京都に至ります。 古くは、信濃国木曽を通るため木曾街道、あるいは日本の中間の道というということで中仙道とも記されましたが、江戸幕府は享保元年(1716)、中山道として名称を統一することとしました。
東海道と中山道はともに江戸と京都を結ぶ街道ですが、江戸時代には東海道の方が交通量も多く、宿駅も大規模でした。
東海道の53宿、126里余に対し、中山道は67宿、139里と距離も長く、さらに木曽路をはじめとする山道や峠道が多いため、人馬の往来や継立が困難でした。
このため、参勤交代における中山道の利用は、東海道に比べて約四分の一程度でした。 しかし、将軍家に献上する宇治茶を運ぶためのお茶壺道中や、和宮の将軍家お輿入れなど姫宮方の通行には中山道が利用されました。
木曽川に沿って険しい峠を越え、深い谷を抜け、山の底を縫うようにして伸びる木曽路。
遠い時代、旅籠の活気ある声が、行灯の灯火が、私たちの心にあたたかく響いてきます。
西国と東国とを結ぶ重要な街道だった中山道。河留めのおおい大井川や浜名の渡し、桑名の渡しなどがある東海道と違い、中山道は水の不便がほとんどないことから女性も多くこの道を歩きました。
奈良井宿は木曽11宿の中では最も標高が高く多くの旅人で栄えた宿場町です。「奈良井千軒」と謳われ、町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、往時の面影を色濃く残しています。
宿場それぞれに静かな時間
本陣跡の枝垂れ桜が悠々と青空に咲き誇る山里の春。
涼しげな宿場の水場にほっと憩う夏。
軒下の干し柿、道筋の秋桜、つるべ落としの陽に染まる秋。
静まりかえった暖炉裏端で、火のはぜる音にじっと耳を澄ます冬。
どの季節にも旅愁が漂う木曽路。
坂道の両側には復元された古い町並みがつづき、宿場風情もひとしおです。当時の宿場のにぎわいや木曽谷の暮らしを伝える「馬籠脇本陣資料館」など、みやげ物店、喫茶店もこじんまりとした深い味わい。
千本格子、なまこ壁の土蔵が残る中山道の懐かしい町並み。歴史と今日の感性が心地よく同居し、語らしや味わい、そしてふれあいが生まれる空間です。
四台関所のひとつ、福島関所があったことで知られる福島宿。崖家造りの家が木曽川沿いに建ち並びます。名所旧跡も多く「福島関所資料館」「山村代官屋敷」庭園が見事な「興禅寺」藤村ゆかりの「高瀬家」など木曽の歴史に触れることができます。
中山道 木曽路11宿場
手にしたい素敵な道具
幾重もの漆を塗り込めた木曽漆器、繊細な手技を尽くした木工品。そして暮らしの知恵から生まれた山の味わい。何代にもわたって受け継がれる木曽路の伝統は、今日もたくましく暮らしのなかに息づいています。
幾重もの漆を塗り込めた木曽漆器。繊細な手技を尽くした木工品。
美しい艶と芳香、そして水に強いひのき。お土産に喜ばれる暮らしの道具も豊富です。
伝統の下駄、民芸の花器、装飾材として使われる木曽五木のひとつねずこ。木理が緻密で黒褐色の色合いが特徴です。
祭りの鼓動
季節の節目を彩る素朴な祭り、時代絵巻のような絢爛の行列、伝説からうまれた舞や歌とあわせて、山国のゆたかな表情にふれるひととき。連綿と受け継がれてきた歴史の温もりは、感動をもって旅をより印象深いものにしてくれます。
街中を練り歩いた白木の大みこしを23日夜に縦に横にと地面に転がし壊してしまう「みこしまくり」。天下の奇祭として知られています。
女みこしや巨大な樽(男)みこしが担がれ迫力満点です。観客が担ぎ手に向かってどんどんと水をかけるという変わった光景も面白い。
総ひのき造りの屋台の上で奉納される雄獅子と雌獅子の舞の競い合い。双方の屋台・神輿がすれ違う「寄合(よけあい)」は迫力満点。
御嶽山と木曽駒ケ岳
日本百名山「霊峰・御嶽山」。標高3,067mの剣ヶ峰を主峰に、五峰五池を擁して雄大な裾野を広げる御嶽山。古くから富士山、立山、白山などと並ぶ霊峰として知られ、多くの登拝者・登山者を迎えてきました。心のよりどころとして、また自然の恵み豊かな御嶽山は、敬いと親しみを込めて「お山」とも呼ばれる木曽を代表する山です。
白樺に囲まれる開田高原は日本で最も美しい村に認定され、木曽馬の里としても知られています。年間を通し見学や、乗馬体験もできます。
多くのハイカーが訪れる御嶽山は古くから山岳信仰の対象となっているパワースポットとしても知られています。ロープウェイで山頂近くまで登れ、気軽に秋のパノラマを満喫するのも人気です。
中央アルプス「木曽駒ケ岳」は木曽谷の東にそびえる中央アルプスの主峰。標高2,956mの山頂からは御嶽山、南アルプス、その向こうに富士山も望むことができます。
渓谷を行く
阿寺渓谷。エメラルドグリーンの清流と、深い国有林に囲まれた緑豊かな景勝地です。随所に滝や淵が点在し、木曽五木の生い茂る見事な景観が続きます。また秋には見事な紅葉が楽しめる人気スポットです。
秋の阿寺渓谷も見逃せません。エメラルドグリーンと、色づいた木々の赤や黄色の鮮やかなコントラストが見事です。
木曽川の奇石が特徴の「寝覚めの床」。浦島太郎が寝覚めたと伝えられ、小さな祠・浦島堂が祭られています。寝覚めの床には降り立つこともできます。
昭和59年に長野県西部地震でできた自然湖。湖面に立ち枯れた木々が神秘的な印象を与えます。カヌーツーリングの湖上散策も人気です。
本当の森を知る
赤沢自然休養林は伊勢神宮の用材林として保護されてきたため、樹齢三百年を超える大樹が多くのこされています。森林浴発祥の地である林内には八本の森林浴コースや、観光客を乗せて走る赤沢森林鉄道があり、また森林資料館・森林鉄道記念館などの施設も充実しています。
赤沢森林鉄道は開園期間中の春から秋まで赤沢美林園内で運行されています。澄んだ水と空気、雄大な美林を縫って走る姿はまさに「森林鉄道」。国内外から多くの皆様に親しまれています。
赤沢の渓谷沿いの樹林が色づき、ヒノキ林の深い緑に映える紅葉をご堪能ください。澄んだ渓流にカエデやナナカマドなどのグラデーションがとても美しいです。
日本でも珍しい針葉樹と広葉樹が混生している水木沢天然林です。天然林内にはウッドチップが敷かれた遊歩道が約3kmにわたって整備されており、誰でも気軽にトレッキングが楽しむことができます。
文学に親しむ
たとえば島崎藤村の小説「夜明け前」は木曽路巡りの歴史のバイブル。たとえば芭蕉や子規の路傍のうたは景色を深める永遠の叙情詩。こんなに険しい木曽路だからこそ生まれた数々の小説の舞台、さまさまな文化の香り。ひとつひとつ木曽路の物語になって、旅の楽しみをいちだんと色濃いものに変えてくれます。
木曽街道の句碑(要調整)
塩尻市 木曽平沢
上松町 木曽の桟
上松町 寝覚の床
中津川市 馬籠
歴史的建造物
福沢桃介が水力発電開発のために木曽川に架けた吊橋で、全長247m、日本でも最大級の木橋です。近代化遺産として国の重要文化財に指定。
木曽の資産家・木曽谷三大持馬の家に数えられ、贅を尽くした本棟造りの破風と懸魚が特徴の山下家。囲炉裏や正座敷の書画などが数多く残されています。
宿場に集まる荷物を管理し、人足・伝馬などを手配した昔の問屋。270余年もの間、問屋を務めた手塚家だけに、古文書、宿絵図など貴重な資料も豊富に収蔵し、国の重要文化財に指定されている。