木曽路の南の入り口「馬籠宿」から、4大関所のひとつがおかれた「木曽福島宿」まで歩いた2日間の後編をお届けします。 ( → 前編はこちらよりご覧ください。)
2日目の最初に立ち寄ったのは「岩出観音」。格子状に組まれた木材同士が支え合い、切り立った崖の上に観音堂があります。斜面にへばりつくように建てられた造りは、懸崖造り(けんがいづくり)と呼ばれ、清水寺と同じように舞台が崖から迫り出しているのが特徴的です。
本尊は馬頭観世音菩薩で、馬の産地であった木曽の三大馬頭観音として庶民から多く信仰を集めました。その歴史は古く、江戸時代に中期に建立された岩出観音は、浮世絵「木曽街道六十九次」にも描かれています。
お堂の裏には切り立った岩があり、厳かな雰囲気を受けました。写真を撮るのは憚られて、そっとその場を離れた私たち。岩出観音を後にしながら「社殿が祀られる前は、岩崖が信仰の対象だったのではないか」と話をしていました。
ゆっくりと時間が流れる水舟の宿場
本日最初に訪れた宿場は、中山道39番目の「須原宿」。木曽路を南から歩いていくと、まずは定勝寺が出迎えてくれます。
木曽家十一代の源親豊公が開創し、当初は木曽川の川辺付近にありましたが洪水の被害に遭ったことで、1598年(慶長3年)に現在の場所に移建されています。桃山時代の様式をもつ代表的建築で、本堂・庫裏・山門は国指定の重要文化財に指定されていて、今回の旅のゴールとなる木曽町福島にある興禅寺、長福寺とともに、木曽三大寺とも言われています。
庭園は綺麗に整備され、本堂も拝見したくなったものの、木曽福島まで今日中に歩くことを考えると、ゆっくりしていられないのも事実。須原宿の中心地へ向かいました。
須原宿にはあちこちに水舟があり、お土産屋などが立ち並ぶ派手さはありませんが、本陣と脇本陣が残り、地元の酒蔵・西尾酒造があるなど、現在も人々が暮らしながら、ゆっくりと時間が流れているのが心地よく感じられました。
殺菌作用があると言われ、独特の香りを持つ朴の葉は、昔から食べ物を包むのに使われています。木曽では初夏に、練った米粉で餡を包み朴の葉に包んで蒸す「朴葉巻(ほおばまき)」や、ちらし寿司を朴の葉で包んだ「朴葉ずし」などが食べられています。
今でも食生活と繋がりの深い朴の葉。清流に冷やされ青々とした葉に、なんとも木曽らしい風情を感じます。
国道からは見えなかった景色
須原宿に別れを告げて歩いていくと、国道19号に合流。木曽路歩きは、国道に合流し、また分かれてを繰り返しながら歩いて行きます。
交通量の多い国道の歩道には、ガードレールが付いていて、歩道も広めなところが多い印象でしたが、場所によってはちょっと怖いなと感じるところも。日中の猛暑の中でもふらつかないように注意して進んでいきます。
途中、JR線路下がトンネルになっている部分があり、その脇に置かれた木看板の「神明神社 大杉」の文字が目に入りました。
木曽に5年ほど暮らしていて、今まで目にすることがなかった看板の文字。
期待はせずにトンネルをくぐって行くと、目の前に現れたのは、鳥居の脇の二本の巨木。圧倒的な存在感を放ち鎮座する大杉は樹齢800年と推定され、鳥居左にたつ幹の周囲はおよそ9.6m。その形も神秘的で、ただただ見惚れてしまいます。時間を忘れて留まってしまいそうでしたが、ゴールを考えるとゆっくりは出来ず。
先ほど来たトンネルを戻り、国道を歩きながら、ふと高揚している自分に気づきました。
車で幾度となく通り過ぎても決して出合うことのなかった景色を見つけたんだという嬉しさ。誰も知らなかった宝物を見つけてしまったようなワクワク感。歩く醍醐味を実感しながら、再び国道19号を歩いていきます。
手元には、街道歩きに特化した無料配布の地図を持ちながらも、基本は看板を目印に歩いて行きます。歩いていると随所に看板が設置されているので、見逃さないように要注意。
ほとんどの看板は、フォーマットが決まったものですが、倉本周辺では、手作りの看板が道案内を担ってくれていました。見つけるのを楽しみながら、看板が案内してくれる方へさらに進んでいきます。
倉本駅もひとつの拠点
駅のすぐ横が畑になっていて、長閑な印象を受ける倉本駅。国道から一本逸れるだけで、風景はガラッと変わります。普段は地元の人たちだけが通るであろう道を、ゆっくりと歩けるのは中山道歩きの醍醐味です。
1日で歩くルートであれば、ここ倉本駅から木曽福島駅までもおすすめのルートです。一度、倉本駅出発で歩いた時は、朝9時に倉本駅をでて、お昼を食べ木曽八景のひとつ「寝覚の床(ねざめのとこ)」にも立ち寄り、木曽福島の入口あたりに着いたのが夕方16時くらいでした。女性3人で、お喋りしながら写真を撮りながらお茶しながらの、かなりゆとりのある行程。ぜひ参考にしてみてください。
倉本駅を過ぎてすぐの場所にあるのが、車は通れない吊り橋。床や欄干が木造で、数人で通ると揺れも増してギシギシと音を立てます。ここ諸原橋は、集落と集落を結ぶ地元住民のための橋です。
揺れる橋に少し怖さを感じながらも、橋上からの景色はとても気持ちよく、河床に転がっている白みのある巨石に新緑が映えています。
救ってくれた2つの癒しポイント
登山の時も常に思いますが、歩く中で生命線となる水がどこで飲めるのかは、知っておきたいポイント。中山道を歩いていても、観光客で賑わう宿場などを除いて休憩所などは少なく、自販機やコンビニなどもほぼありません。運悪く飲食店や商店の休みと重なると、思っていた場所で休憩がとれないこともあります。
まさに「目当てのうどん屋さんがお休みで、休憩する場所がない」状態に陥っていた私たちは、湧水の案内を見つけ迷わず立ち寄りました。
24時間いつでも水が飲める湧水は、昔も今も変わらずなんとも偉大なもの。ここ和水の湧水は木曽駒ヶ岳の手前にある風越山(かざこしやま)からの水で、まろやかな口当たりで喉を潤してくれました。
かつて木曽馬の牧草地として利用されていた風越山。その草地を夏風が渡る姿は「風越の晴嵐」と言われ、木曽八景にも選ばれています。
湧水で一休みしてから歩き始めると、程なくして次の癒しポイントに到着。落差20mほどの滝を間近に見ることができる迫力満点な「小野の滝」。かすかに体にかかる水飛沫が、熱った体には気持ちよくて、吸い寄せれてしまいそうになります
江戸時代の人たちも涼んだのであろう滝ですが、明治43年に滝上には鉄道が架けられています。
景観を壊さないように最大限の配慮がされながらも、鉄道と滝がこれだけ間近で見られるという稀有な光景も魅力のひとつかもしれません。
国道19号を車で走っているとすぐ横を通り過ぎてしまうのですが、歩く方も車の方も機会があればぜひ立ち寄ってみてください。
中山道を通り、寝覚集落へ
小野の滝を過ぎると、また国道を離れ、中山道は静けさを取り戻します。
木曽川の支流・滑川を渡る橋上からは、川幅がありゆったりとした木曽川の景色とは違う美しさが楽しめます。川横には新緑の葉が生い茂り、木々が迫ってくるような力強さを感じます。
中山道を歩いていると、中学校や郵便局に並び、地元の商店があり買い物に立ち寄りました。小腹が空いたタイミングで食べようと、ここぞとばかりに菓子パンを購入。
商店近くでは、町の天然記念物に指定されている桂の木を発見。樹齢400年と推定される木は、滑川の氾濫で流れ着いた苗木が根付いたといういわれがあるそう。道横に佇む木は町を見守ってくれているようで、すぐ横には小さな社殿も連なっていました。
さらに歩いていくと、長寿そばで知られる「越前屋」の旧館が姿を現します。向かいには、古典的な町家造りの立場茶屋「たせや」もあり、年月を経ても色褪せない建築物の力強さに惹きつけられます。
寝覚の集落にある2つの建築物の間の道を下っていくと、木曽の代表的な景勝地「寝覚の床」に辿り着きます。
私たちは坂道をくだり、現在も営業している「越前屋」へ。創業は1624年(寛永元年)で、400年の歴史を持つ越前屋は、日本で二番目に古いそば屋だそう。
この日お昼ごはんの蕎麦にありつけたのは、14時ころ。1日目の疲労も重なり、お尻が椅子から離れない状態になりつつ、天丼付きの定食はあっという間に無くなりました。お店を出て道向かいに渡って行くと、寝覚の床を見下ろすことができますが、時間がなく中山道の道筋へと戻ります。
今回の記事ではご紹介しませんが、国指定の名勝にも指定されている「寝覚の床」、川の激流が時間をかけて花崗岩を削り出した自然の造形美は、目を見張るものがあります。降りていくと、より身近に見ることができるので、時間があればぜひ足を運んでほしいスポットです。
小道も通り抜けながら、徐々に道は街中へ。「ひのきの里」とかかれた看板が目につき、木材の集散地として栄えた上松町の中心地が近いことを教えてくれます。道は上松駅の近くを通り、本日2つ目の宿場・上松宿に到着。
昭和25年の大火災により、上松宿の多くの建物は焼失してしまっていますが、一部昔ながらの古民家が並んでいます。
宿場内には、店内でゆっくり過ごすこともできる和菓子屋「和心」もありますが、今回の旅ではやはり時間がないため足早に前を通り過ぎます。
木曽の棧(かけはし)を眺め、木曽福島へ
寝覚の床は見逃したものの、中山道を歩きながら覗き見える川景色もなかなか見応えがあります。どうやってここに行き着いたのか不思議になるほどの巨石と、自然がいたずらに描いた石の傷跡、石の間から逞しく生える木々。
さらに進むと、荒々しい自然に負けじと、この木曽川沿いを歩いた人々の知恵と努力も垣間見れます。「木曽の棧(かけはし)」は、古くは今昔物語集に記述があり、中山道の三大難所の1つだったと言われている場所です。
ここの棧は川を横断するものではなく、木曽川の絶壁に並行して架けられ、当初は丸木と板を組み藤づるで編んだ桟橋でした。木の桟が焼失したのち、正保4年(1647年)に木橋をかけた石積みが作られ、現在はその石積みの部分を道路の下に見ることができます。
日が傾き、陰る景色に少し心が焦り始めます。それでも、いよいよ木曽福島に近づいてきました。最後に待っていたのは、木々が鬱蒼と茂る道。ふと道の脇に見えた石段を上がって行くと、立派な鳥居に「御嶽神社」の文字が見えます。
北は長峰峠、西は三浦山、東は鳥居峠と南はここ神戸の4ヶ所で、御嶽山四方遥拝所というそう。鳥居は御嶽山の方角を向いていますが、残念ながら現在は木々により御嶽山は見えませんでした。
いよいよゴールの木曽福島の街中へ。
福島に入ってからも、もちろん中山道の案内看板とともに道は続いていきます。しかし今回は夕暮れが近づいてきてしまったため、私たちは最終ゴールを目指して、商店街にそそくさと向かいました。
実は、木曽福島に入る前から時間がなくなってきたため、いくつかショートカットをして歩いていました。何とか目的地には着きましたが、中山道の通りに歩いていたらゴールする頃には真っ暗だったと思います。
足早に通り過ぎてしまったために、寄れなかった場所も多々あったので、ぜひ皆さんは余裕をもった行程設定でお楽しみください。
この記事を書いた人
坂下 佳奈(Sakashita Kana)
1991年富山県生まれ。関西での生活を経て、2018年より木曽町に移住。現在、コワーキングスペース「ふらっと木曽」や地域の新しいもの・ことをつくる実践プログラム「里らぼ」の運営に携わりながら、コーディネターとして活動。移住促進PR「イキルキソ」や木曽ひのき端材ブランド「W/ODD」など木曽地域のプロジェクトに関わる。