江戸時代の五街道の1つ、中山道。江戸・日本橋から京都・三条大橋を山側で結ぶ街道で、木曽路を通ることから中山道は「木曽路」とも呼ばれています。木曽路は、木曽エリアを南北にはしっていて、南は岐阜県 馬籠宿から北は長野県塩尻市 贄川宿まで11宿場がおかれています。
今回は、木曽路の南の入り口「馬籠宿」から、4大関所のひとつがおかれた「木曽福島宿」まで歩いた2日間の記録をお届けします。
木曽路を一緒に歩いていただいたのは、東北・出羽三山を拠点に執筆や創作活動をされている坂本大三郎さん。著書には「山伏と僕」(リトルモア)などがあり、山伏としても活動されています。坂本さんが木曽に滞在し創作活動をするにあたり、今回の「木曽路歩き」が決まりました。
木曽路を歩くことが木曽を知る一助になればと、私たちは出発地の馬籠宿に向かったのです。
焦らずゆっくりと、石畳の坂道をのぼっていく
朝7時半、馬籠バス停付近を出発。
バス停横のベンチには、地元の学生さんが腰掛けています。
いつもと変わらないのどかな朝に、木曽路の旅がはじまりました。
馬籠宿は、文豪・島崎藤村の出生地として知られる宿場町です。彼の生家は、明治28年の火災で焼失していますが、同じ地に文学館「藤村記念館」が建てられ、藤村の生涯を後世に伝えています。
木曽の文豪がかつて見たであろう町並みは、江戸時代に人々が行き交った賑やかな風景を思わず想像させます。私は高揚する気持ちをなんとか落ち着けながら、ゆっくりとペースを掴むように石畳の坂をあがっていきました。
坂をあがっていくと、宿場の風景から一転して、視界がひらけた展望スポットにでます。展望台からは、恵那山を望むことができ、ベンチに腰掛けながら景色を堪能することもできます。坂道をあがり息切れした呼吸を落ち着けるには、ちょうどよさそう。
先が長い私たちは、晴れ晴れとした空に映える稜線を写真にだけおさめて、先に歩をすすめます。
馬籠宿の端に近づくにつれて、店舗が連なる駅前とは違う馬籠宿が顔をみせます。民家が増えてきて、現在ここで暮らす人々の生活がみえてきます。木曽路を歩くと、現在の木曽の人々の暮らしを垣間見ることができるのも面白さのひとつかもしれません。
軒下に吊るされた野菜、苔むした石積み、玄関の横に置いてあるお札。
昔も今も変わらない、山深い地、木曽での人々の暮らしに触れることができます。
挨拶をして、森の中へ
山道に近づいていくと所々にあらわれるのが、熊ベル。
ベルを鳴らして、熊をはじめとした野生動物たちへ挨拶をします。
私も景気づけにと、チリンチリンとベルを鳴らしてみました。
森の中は彼らの住処。ぜひ旅のおともに、熊鈴やラジオなどを持っていってください。
しばらくすると「馬籠峠」の看板が目にはいってきます。
馬籠宿から、この馬籠峠を越えて、妻籠宿へつづく約8.4kmの行程は、木曽路の人気コースの1つです。
いよいよ、妻籠宿へつながる山道がはじまります。
峠道は、狭くなっていたり曲がりくねっていたりしている部分も多くあり、かつて難所といわれた峠の名残が感じられます。といっても、信濃の自然歩道の一部として歩きやすく整備されていて、家族連れでも楽しめるハイキングコースになっています。
道端で拾った木の棒を杖に、かつてたくさんの旅人が歩んだであろう木曽路の土を踏みしめながら歩いてきます。
馬籠宿と妻籠宿のおよそ中間に位置する「一石栃(いちこくとち)」には、江戸時代後期に建てられた立場茶屋があります。昔には周りに7軒ほどの家があって栄えたそうですが、今は立場茶屋であった牧野家しか存在しません。
現在、この牧野家は中山道を歩く人が気軽に立ち寄れる無料の休憩所として開放されています。5月のゴールデンウィーク前後には、満開のしだれ桜が咲きほこるそう。お花見の時期に、ゆっくり訪れてみるのもいいかもしれません。
道すがら姿をみせたのは、樹齢300年の大樹。下の枝が立ち上がり上に伸びていく枝ぶりになっていて、神居木(かもいぎ)と呼ばれています。神居木は、山の神が腰をかけて休む場所であると信じられています。
この神居木は、高さおよそ41mの椹(さわら)です。椹は、木曽五木(きそごぼく)といわれる木曽を代表する針葉樹の一つ。木曽五木は、椹、檜、高野槙、あすひ、ねずこの5種で構成されており、江戸時代には、一般民衆は伐採することが許されない木々として尾張藩によって管理されていたそうです。
中山道・木曽路を歩くと、木曽の森林を肌で感じることができます。
そこには、樹木だけではなく、川のせせらぎがあり、野鳥のさえずりが響き、植物がそれぞれの生のために土に根を張っています。人間社会とは違う、自然界の息づかいを感じながら、木曽路の旅は続きます。
今回は時間の関係で立ち寄れませんでしたが、木曽路からすこし足を伸ばすと、男滝・女滝(おだき・めだき)という2つの滝があります。吉川英治の小説「宮本武蔵」の舞台にもなった滝で、街道が開かれて以来、中山道の名所として親しまれてきました。
峠を越えて、妻籠宿までは残り約3kmの場所。
ちょっと寄り道をして、疲れた体を癒しにいくのもいいかもしれません。
出発から2時間半、妻籠宿に到着
妻籠宿の手前にあり間宿(あいのしゅく)とよばれる「大妻籠」の集落を通り抜けると、今日2つ目の宿場となる妻籠宿が姿をあらわします。
妻籠宿は、全国で一番最初に古い町並みを保存した宿場町で、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。人々の並々ならぬ想いに支えられ、いまもなお妻籠宿には、江戸時代の情緒がただよっています。
妻籠宿の見所の1つ、脇本陣 奥谷は、明治10年にそれまでは使うことが許されなかった檜をふんだんに使い建てられた古民家で、国の重要文化財にも指定されています。
代々、脇本陣・問屋をつとめた奥谷林家の建物は、意匠的にも貴重で、写真撮影に訪れる人も少なくありません。資料館が隣接されていて、街道歩きから一歩踏み込んで、木曽路の歴史や宿場のあらましを知ることができます。
より深く妻籠宿を知りたい方は、ガイドを依頼して案内してもらうこともできます。
町並みのポイントを教えてもらう30分のお気軽コースから、脇本陣などの3つの施設案内を含めた90分のじっくり案内コースまで。ぜひご自身に合ったコースを選んでみてください。
一息つきたくなった私たちは、妻籠宿で一休みすることに。妻籠宿についた安心感なのか、ここまで急ぎ足できたせいなのか、吸い寄せられるように、お店に入っていきました。
挽きたての珈琲を味わえるカフェ、好日珈琲(こうじつこーひー)。メニューには、珈琲などの飲み物のほかに、アフォガードやそば粉のガレットなどが並んでいて、ランチやスイーツをお目当てに立ち寄ることもできそうです。
珈琲1杯の束の間の休息を終えて、木曽路歩きは再スタート。風情ある妻籠宿の町並みを抜けると、しばらく小道がつづきます。
苔の生えた石が路肩にたたずむ道、竹林が風に揺らぐ道、すこしずつ風景が変わる木曽路を楽しみながら、次の宿場へ向かいます。
木曽谷に突如としてあらわれたのは、蒸気機関車。なぜこんなところに突然にと思いますが、実は蒸気機関車がおかれているのは、JR南木曽駅からおよそ徒歩5分のところにあるSL公園。
昭和40年代に、実際に木曽谷を走っていたD51形蒸気機関車が、中央線の旧線路上におかれています。重量感のある黒いボディが、今にも走り出しそうで、思わず機関車に駆け寄りました。鉄道に対して詳しくない私ですが「デゴイチ」の愛称を口走りながら、写真撮影。
木曽路はJR南木曽駅の裏側をとおり、本日3つ目の宿場、三留野宿にたどりつきます。鉄道が開通するまでは、この三留野宿が交通の要所として栄えていました。現在の南木曽駅は、明治44年に宿場の南にできた当初、三留野駅と呼ばれていたそうです。
三留野宿の各家には、「鍛冶屋」など昔の屋号がかかれた表札が取り付けられていて、かつての宿場の町並みを思い起こさせます。
宿場内の本陣は、明治14年の大火災で焼失してしまい、現在は本陣跡にある2本の石柱のみが、当時の面影をのこしています。本陣跡の庭では、町の天然記念物になっている枝垂梅をみることができ、例年3月下旬に満開になるそうです。
木曽川を眺め深呼吸をしながら、北へ
三留野宿を過ぎ、しばらく歩くと木曽路は国道19号に合流。ここから、精神力を試される旅路がはじまります。
国道沿いの道は景色が変わらないため、精神的にとてもしんどくなっていきます。いつかこの道が終わると信じて、ただひたすらに、無心で、足を前に出しつづけるしかありません。
ときおり足を休めて、透き通った木曽川を眺めて深呼吸。無限に繰り返される国道の景色とは対極的に、川景色がオアシスのようにみえてきます。
砂漠とまではいいませんが、日陰がなくなり、アスファルトからの照り返しも強い国道沿いは、山道より断然きつくなります。自販機もなかなか登場しないので、水分と日よけの帽子は必須です。
この日は、日差しよけに木曽檜笠を持参していました。檜笠は、江戸時代からつづく伝統工芸品の1つで、木曽路ではお土産品として販売されています。
日除けになるだけでなく、雨の日には雨除けにもなります。通気性がよいので、熱がこもらず快適にかぶることができるなど、機能性に優れた日除け帽子。杖として使った木の棒とあわせて、2日間の木曽路の旅を助けてくれた貴重なアイテムです。
1時間ほど国道19号を歩くと、やっと国道をはなれた道にはいっていきます。風景が変わるだけで、また歩くのが楽しくなってきました。
途中には、線路沿いの道も歩きます。線路ちかくの道では、電車の撮影をしようとカメラを構えている人をみることが何度かありました。名古屋と長野を結ぶ電車が走る木曽谷。江戸時代にはなかった光景ですが、これもまた木曽谷らしい風景のひとつです。
木曽路は、中央本線と何度も交差をくりかえしながら、南北にのびています。踏切を渡ったり、線路下をくぐったりしながら、北に向かっていきます。
線路下をくぐり抜ける薄暗いトンネルの中にはいると、ぐんと気温が下がります。鉄の足場の横には小川が流れ、裸電球が吊るされたトンネルは、どこか冒険感が漂っていました。
今も昔も巡り合いをたのしむ木曽路の旅
阿寺渓谷の入り口につづく阿寺橋の近くを通ると、野尻宿まであとすこしです。だんだんと民家がふえていき、本日4つ目となる宿場に期待が膨らんでいきます。三留野宿からは、約10km。
野尻宿に向かっていると、恋路峠を歩いてきたという男性に出会いました。恋路峠は、南木曽町柿其(かきぞれ)から大桑村野尻につづく峠で、野尻宿や中央アルプスを一望できる展望台があります。
彼は「恋路峠のファンで、もう何度も歩いてるんだよ。どの四季もいいんだよね。」と教えてくれました。南木曽町のJR十二兼駅から出発して峠を越えてきたそうです。
私たちは、今日ここまでのルートの情報を交換し合い、またそれぞれのペースで歩き続けました。かつて木曽路を歩いた人々も、時には言葉をかわしながら、こうやって巡り合いを楽しんだのかもしれません。
野尻宿は、何度もあった大火で一帯は焼失していますが、所々に昔の面影をみることができました。「野尻の七曲り」と云われる7つの曲がり角は、宿場の出入り口におかれる枡形と同様に、敵の侵入を防ぐ防衛的な役割をもっていたそうです。七曲りは、現在も特徴的な町の形として残っています。
野尻宿周辺までくると、蕎麦屋や喫茶店など食事ができるお店が数軒あります。妻籠宿から、まともに休憩をとっていなかった私たちは、宿場内の喫茶店「どんぐり」でやっと軽食タイムにありつきました。
一瞬でカレーをお腹の中へおさめ、次の目的地・須原宿に向けて再出発。しかし、日差しにやられたせいか予想以上に体力を消耗した私たちは、喫茶店をでて1時間ほどで根を上げました。須原宿にたどり着くことなく、木曽路の旅1日目は幕を閉じました(2日目につづく)。
妻籠宿ガイド予約はこちら
事業所名: 公益財団法人 妻籠を愛する会
電話番号: 0264-57-3513
体験時間: 30分〜90分
料金: ガイド1人 2000円 (ガイド1人につき定員は1名~15名位)
※年末年始(12/29~1/5)を除く通年実施いたします。
※10日前までにお申込みください。ガイドの人員の関係上お受けできないこともあります。
※案内する場所によって入館料が必要な場合があります。
この記事を書いた人
坂下 佳奈(Sakashita Kana)
1991年富山県生まれ。関西での生活を経て、2018年より木曽町に移住。現在、コワーキングスペース「ふらっと木曽」や地域の新しいもの・ことをつくる実践プログラム「里らぼ」の運営に携わりながら、コーディネターとして活動。移住促進PR「イキルキソ」や木曽ひのき端材ブランド「W/ODD」など木曽地域のプロジェクトに関わる。